写真:淡島堂

現在の本堂が建立される以前は、仮本堂としてご本尊が奉安されていた。

淡島堂あわしまどう

女人守護のお堂

写真:新本堂建設前の仲見世の様子

新本堂建設前の1コマ。現淡島堂が仮本堂であった。

元禄年間(1688~1704)、紀伊国(現在の和歌山県と三重県南部)加太の淡島明神を勧請して建てられた。現在の建物は、ひと時ご本尊様をお守りしたことがある。東京大空襲で本堂が焼失した後、仮本堂となったのである。やがて影向堂として現二天門の南に移り、平成6年に今の地に移築される。

加太淡島神社の祭神は少彦名命で、淡島という小島に鎮座しているため、淡島明神の俗称がある。このことから浅草寺では淡島堂と呼んでいる。淡島堂には、本尊の阿弥陀如来像、淡島明神像と本地仏の虚空蔵菩薩像、取子地蔵尊などが安置されている。本地仏とは、日本の神は、仏教の仏が姿をかえて現れたものとする本地垂迹説によるもので、神の本当の姿である仏を指す。
 淡島明神は女性の守り神として信仰を集め、江戸時代は「淡島の願人」と呼ばれる人びとがおり、江戸市中で婦女子に淡島明神の信仰を説いてまわっていた。現在、淡島堂を中心とした行事に、2月8日の針供養会がある。

歴史 元禄年間(1688~1704)に和歌山県加太(かだ)の淡島明神を勧請(かんじょう)し、淡島堂を建立。お堂は、戦後の「仮本堂」(現本堂正面に位置した)そして「影向堂(ようごうどう)」(二天門脇)としての役割を果たしてきたが、平成6年(1994)の境内整備の折、曵屋作業により現在地に移築された。
奉安仏 本尊阿弥陀如来像。虚空蔵菩薩。淡島明神。取子(とりこ)地蔵菩薩。
ご縁日 毎月13日
2月8日は「針供養」として終日参詣信徒で賑わう(午前11時法要)

淡島堂境域案内

魂針(こんしん)供養之塔 写真:阿弥陀如来昭和57年(1982)和服裁縫教師の方々により建立。
大平和塔 写真:宝篋印塔昭和38年(1963)建立。浅草地区の3万人余の戦災殉難者の霊をまつる。台座の銘にはノーベル物理学賞の湯川秀樹博士の直筆「みたまよ、とこしえに、安らかに、われら守らん、世界の和」。塔上部の「和」は浅草寺中興第24世貫首、清水谷恭順大僧正の筆。
写経供養塔 写真:石橋平成6年(1994)10月26日落慶。木製銅板葺、花崗石造。総高8.8m・屋根軒長3.7m・相輪高3.2m
浅草寺では昭和33年(1958)以来、観音経百万巻写経運動を発願し、現在に至っている。この写経供養塔には、ご信徒の皆様が浅草寺に納められたお写経の経題と巻数を奉納している。
天水桶 写真:天水桶明和7年(1770)造立。太平洋戦争最中の、昭和18年(1943)11月18日、この天水桶内にご本尊さまをお厨子ごと奉安し、本堂の地中深くに納めたため、ご本尊さまは戦火を逃れたという。戦後の昭和22年(1947)3月7日、ご本尊さまは再び地中より掘り上げられ、その無事が確認された。
石灯籠 写真:堂前の石灯籠堂前の石灯籠。「胎内くぐりの灯籠」として江戸時代から有名なもの。子供がこの灯籠の下をくぐると、虫封じや疱瘡【ほうそう】除けになると伝えられている。

新奥山 本堂 二天門 お水舎 弁天山 影向堂 銭塚地蔵堂 薬師堂 淡島堂 宝蔵門 五重塔 伝法院 仲見世 雷門 鎮護堂